間違った知識が入ってしまう恐ろしさについて
間違おうとして間違う人はいません。しかし一旦間違った知識が入ってしまうと、問題を解いていた時間、発見するための時間、引き剥がし作業、これらが全て無駄な時間と労力として計上されてしまいます。しかも、間違った知識は正しい知識よりも簡単にアタマに入ってきます。なぜなら、間違った知識は自分の思考回路にとって都合のいい形をしているからです。
そもそも、「間違い」とはいったい何でしょう。
試験に於ける限りは、「出題者の意図と合致しない考え方」を指します。人と違った考え方をもつことの善し悪しは別として、試験では点がもらえないことになります。
「では、どうして間違ってしまうのか」
何の事はない「自分で考えてしまうから」です。基本的にものの考え方というモノは十人十色です。自分で考えると人と違った考え方になるのは当たり前です。試験勉強を進めていくと、多少なりとも知識が蓄積され、その知識を繋ぎ合わせて自分で考えてしまいたくなります。しかし、凡そにおいてそこで出てきた「考え方」は「間違った考え方(知識)」になります。
間違った知識をそのまま放っておくと、合格できません。合格するためには、間違った知識を訂正する必要があるのですが、これは想像以上に大変な作業です。訂正作業を記すと以下のようになります:
まず、間違って認識している部分を探し出す必要があります。探し出すのが遅れれば致命傷、探し出せなければ不合格直行。しかしながら、間違って認識しているところをテストか何かで問われない限り、それを見つけだすのは不可能に近いです。
そして、間違って認識している知識をunlearnする必要があります。これもとても大変な作業です。一度覚えてしまったモノを敢えて忘れると云うのは、困難を極めます。数学の初歩的な公式や英単語のスペル、或いは知人の電話番号などを間違って覚えた経験のない人はいないと思います。その経験から「忘れる作業の困難さ」がわかると思います。
よって、間違って認識した場合、『間違いを探し出す作業』と『間違った情報を消去する作業』にかなりの時間と手間がかかります。この二つの作業にかかる時間は、「無駄な時間」に計上されます。したがって、間違った情報を最初から排除すると云うことがどれだけ重要であるかは、言を待ちません。
また、知識というものはスタンドアローンなモノではありません。他の知識との結びつきではじめて存在できます。ジグソーパズルのピースのようなものです。とすると、「間違いのピース」が周辺のピースに歪な形を強いている可能性もあると云えます。
繰り返しになりますが、試験勉強で大事なことは「間違った知識を入れないこと」であり、そのためには「自分で考えないこと」「自分で過去問を解かないこと」が必須条件となります。